ひえじま
教会の歴史をご紹介
ひえじま「稗島」の名称由来
金光教の教会名は、布教地域の呼称が多くつかわれています。
「稗島」は、古代、淀川の河口にできたデルタ地帯の難波八十島と総称され、たくさんの島が点在するところでした。その島のひとつに比売島(ヒメシマ)があったといいます。
古事記や日本書紀によると、6世紀頃、ヒメシマの地は牛の放牧地であったといいます。奈良時代の始めには開墾が許可され、放牧地ではなくなりました。このヒメが訛って「稗」と呼ばれ、ヘジマと発音していたようです。
明治期には大阪府西成郡稗島村、そして大正11年、町制に移行しても稗島町と呼ばれましたが、大正14年、大阪市に編入され西淀川区となってから、はじめて現在の「姫島」という町名に変更されることとなりました。
ひえじま教会も布教当時の地名が教会名の由来になっていました。戦災から大阪市淀川区塚本に移転しましたが、現在も「姫島」に歴代教会長の墓地があり、「稗島霊園」と名付けられております。
歴 史
明治41年05月05日
初代教会長 三村 喜三郎 大阪西成郡稗島村432番地(現在の大阪市西淀川区姫島)で、玉水教会初の出社(でやしろ:支部)として布教開始
明治42年02月22日
金光教稗島教会として主務官庁認可
明治42年05月06日
金光教本部認可
昭和18年06月10日
二代教会長 三村 喜一 就任
昭和20年06月10日
第二次世界大戦の空襲にて教会焼失
昭和28年12月04日
大阪市淀川区塚本4丁目12-6番地にて教会復興
昭和57年03月10日
三代教会長 三村 ぬい 就任
昭和61年01月11日
玉水教会から教師派遣
昭和61年02月01日
四代教会長 高島 祥郎 就任
昭和61年04月01日
教会改築
昭和61年05月04日
機関誌「ひえじま」を創刊
昭和62年05月06日
宗教法人金光教稗島教会として法人認可
昭和63年05月04日
教会改築ならびに増築
平成14年05月04日
現在、平成21年05月04日の布教100年に向けて1萬回祈念(1日4回神前拝詞奉唱)を実践中。
戦災前、大阪市西淀川区姫島にあったころの教会客間
初代(中)、二代(左)、三代(右)、初代夫人(右二)
〜大正15年ごろ〜
歴代教会長
初 代
三村 喜三郎
明治03年01月07日生
明治41年05月06日教師拝命
昭和18年05月08日帰幽
二 代
三村 喜一
明治34年02月23日生
大正11年06月10日教師拝命
昭和57年02月08日帰幽
三 代
三村 ぬい
明治34年02月23日生
大正14年06月10日教師拝命
昭和60年11月23日帰幽
四 代
高島 祥郎
昭和06年09月22日生
昭和41年06月10日教師拝命
現在に至る
天地金乃神大祭並びに四代教会長就任(昭和61年5月13日)
外のようす(教会に入りきれない参拝者)
四代教会長(現在) 高島 祥郎
ひえじま各種団体活動
昭和61年05月04日〜
信徒会発足
信心を求めて信心活動、教励、交流を行うために発足
役員会
信徒総代、信徒会役員の定例会をおこなう
婦人部
直会、装束などの御用に仕える
平成06年08月06日〜
青少年活動
稗島教会から少年少女全国大会に参加
平成08年06月10日〜
輔教会発足
輔教活動においての定例会をおこなう
平成10年05月06日〜
稗徳会発足
信徒会を稗徳会に名称を変更
平成10年05月06日〜
世話人会発足
役員会を世話人会に名称を変更
平成14年01月13日〜
ひえじま音楽隊
初会での演奏をおこなう
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